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飯能の底抜け屋台

底抜け屋台行事が無形文化財に…後世に残す価値ある祭事

令和6年6月、飯能市教育委員会は飯能市文化財保護審議委員会の答申を受け、市内各地の夏祭りで催行する底抜け屋台曳き廻しを「飯能の底抜け屋台行事」として飯能市無形民俗文化財に指定しました。

床無し構造やお囃子の歩行演奏、市松装飾による朝顔形屋根には天下祭り以来の底抜け屋台の特性がよく残り貴重であること、各地で廃れた底抜け屋台行事が唯一飯能で多数現存し盛行なのは、飯能の地域特性を表し重要であることが評価され、郷土の誇る祭礼行事と認定されたのです。

現在も活発に活動され、今後も順調に継続していく見通しの13の団体(双柳・三丁目・原町・一丁目・本郷・河原町・前田・柳原・宮本町・中山・二丁目・平松・浅間)が指定対象となりました。

飯能の底抜け屋台

飯能の底抜け屋台について
底抜け屋台の登場
●底抜け屋台は祭礼屋台の一種で、江戸時代半ばの宝暦年間、1700年代後半に山王権現(現 日枝神社)と、神田明神(現 神田神社)の祭礼である天下祭りに出現した。
飯能市域での底抜け屋台の拡がり
●飯能市内に伝わる底抜け屋台および祭事は、明治半ばに双柳、大正期に三丁目、昭和初期に原町にそれぞれ新久・仏子・高倉・野田など、現在の入間市西部地域から祇園囃子とともに伝播されたようです。夏の八坂神社のお祭り(天王様のお祭り)に底抜けで祇園囃子を演奏して町内を曳き廻す祭事として、戦後市街地の町内ならびに囃子団体に広がっていきました。
底抜け屋台の特色と装い
●底抜け屋台に共通する特徴的構造は、文字通り底が抜けている(床板が貼っていない)ことです。当然囃子方は屋台の内側を歩いてお囃子を行います。それを歩行演奏・徒囃子(かちばやし)といいます。登場当初は数人で担いでいましたが、飾りが増え重量が増したので車輪を取り付け綱で曳き廻すようになりました。
●特徴的な装飾としては、屋根廻り四方に市松模様の油障子を上に向かって広げて設ける「朝顔型屋根」飾りで、当初から多くの底抜けに装備されています。一部には山車同様の唐破風屋根底抜けもありますが、これも天下祭りの由来のもので、入間西部の新久・高倉・仏子・野田などにも同じ唐破風屋根型底抜けがあり、地元では「ヤグラ」と呼ばれています。飯能では双柳・中山が唐破風屋根仕様です。
●そのほかの標準的な意匠については、正面に町名額や水引幕、注連繩や榊を飾り、腰廻りを腰幕や柴垣で囲み、土台から4本もしくは6本の柱を立ち上げ、欄間を経て朝顔屋根に至ります。また腰廻り上部の正面側面三方に勾欄を設けているものもあります。そして欄間四方に軒提灯、柱途中には雪洞、腰廻りには弓張提灯が取り付けられ、日が暮れると灯りがともります。
底抜け屋台のお囃子
●底抜け屋台で演奏されるお囃子は「祇園囃子」と呼ばれるものです。底抜け正面内側に締太鼓2人(または1人)、脇に大太鼓1人を、底抜け背面には摺り鉦1人から数人、篠笛1人から数人の人員を配置して、それぞれ歩行演奏・徒囃子を行います。
祇園囃子は山車で乗演する屋台囃子と異なり、打面の直径が2尺(約60cm)もある大太鼓を用いた威勢の良い曲調が特徴です。また屋台囃子に合わせた面踊りは付きません。
底抜け巡行中は「道中囃子」という比較的ゆっくりで華やかな曲を使います。ナガシ、カケス、ノウゲノヤマ、昇殿崩し、チャンチャーリーコ、名栗川小唄などなど。一方、門付けや引き合わせなど立ち止まった際に演奏する「シャンギリ(シャギリ)」は、高音の笛から始まり締太鼓が短い節回しを何回も繰り返しながら、大太鼓がバチを入れ、連打しながら盛り上がったところで終了という演奏形態をとっています。テンポの速い激しいバチさばきが印象的で、耳に残る大太鼓の大きな音は邪気を払い福を呼ぶと言われています。
底抜け屋台が飯能で盛んな理由
●おもに関東各地に山車祭りと共に広まりながら、時代の趨勢で廃れていった底抜け屋台およびその祭事が飯能地域では今なお盛んに数多く催行されています。盛んな理由として、底抜けでの祇園囃子およびその演奏形態が演者の感性に合い、飯能の人たちに受け入れられたことが挙げられます。特にシャンギリ演奏では、笛が奏でる旋律に乗せた太鼓鉦の打音が単調な節回しを繰り返すことによって、囃子方を心地よい陶酔状態に誘います。くわえて、多数の底抜けでの囃子競演となる引き合わせでは、打ち鳴らされる太鼓の響き、お囃子に合わせた掛け声、扇子を振り調子を取るなど囃子方の見事な演技が、観る者に一体感・親近感・幸福感を感じさせるので、引き合わせ会場全体が熱気を帯びて一層盛り上がり高揚感に包まれます。

一丁目の底抜け屋台

一丁目の底抜け屋台
乗演
飯能一丁目囃子保存会
屋台の紹介
昭和25年(1950)、市川多十、矢島吉三ら(当町)により建造腰周りを柴垣で囲む古風な装いが特徴。

二丁目の底抜け屋台

二丁目の底抜け屋台
乗演
二丁目親和会
屋台の紹介
昭和25年(1950)、市川多十、矢島吉三ら(当町)により建造腰周りを柴垣で囲む古風な装いが特徴。

三丁目の底抜け屋台

三丁目の底抜け屋台
乗演
三丁目共鳴会
屋台の紹介
戦前建造の初代から数えて3代目の現屋台は平成15年(2003)宮倉棟梁(上畑)の作。提灯にはバッテリー照明を搭載し環境にも配慮。

河原町の底抜け屋台

河原町の底抜け屋台
乗演
河原町親水会
屋台の紹介
3代目の現屋台は、平成27年(2015)の荒木社寺(秩父市)により建造。天井に代用萩用いる等こだわりが随所に。

宮本町の底抜け屋台

宮本町の底抜け屋台
乗演
宮本町囃子連
屋台の紹介
繊細で緻密な欄間彫刻が特色。檜を主体とした屋台随所に錺金具が施されている。平成8年(1996)土屋工務店 宮寺喜一棟梁の作。

原町の底抜け屋台

原町の底抜け屋台
乗演
原町囃子連
屋台の紹介
昭和10年(1935)、20年(1945)に続く3代目は、56年(1981)福田工務店(原町)による標準仕様の底抜け屋台。

前田の底抜け屋台

前田の底抜け屋台
乗演
前田囃子保存会
屋台の紹介
昭和55年(1980)、建喜代(二代/加藤 登)の作。朝顔型の亀の尾部に「てるむくり」を、囃子座には「勾欄」を採用した画期的な屋台。

柳原の底抜け屋台

柳原の底抜け屋台
乗演
柳原囃子保存会
屋台の紹介
平成2年(1990)、平成の大嘗祭記念に森住建築の手により建造。他町よりも軒提灯が数多く吊るされている。

中山の底抜け屋台

中山の底抜け屋台
乗演
中山囃子連
屋台の紹介
銅板葺き唐破風屋根が特徴の現屋台は新久、野田、双柳屋台の系譜で、平成18年(2006)中山大工組合の作。

双柳の底抜け屋台

双柳の底抜け屋台
乗演
双柳囃子連保存会
屋台の紹介
準備中

本郷の底抜け屋台

本郷の底抜け屋台
乗演
本郷囃子保存会
屋台の紹介
建造当初(平成26年/2014)よりLED照明搭載の現屋台は2代目で、町内ゆかりの細田建設(双柳)の施工。

浅間の底抜け屋台

浅間の底抜け屋台
乗演
浅間囃子連
屋台の紹介
準備中